インド文化

長谷川時夫

はせがわときお

前衛芸術と日印交流の担い手。1970年に「前衛音楽タージ・マハール旅行団」を結成し、ヨーロッパ公演を行う。1982年、「ミティラー美術館」を設立。2001年に「日印交流を盛り上げる会」の代表となり、日本全国で活動を推進。2012年の日印国交樹立60年事業では、インド大使館のアドバイザーとして活躍。

詳しいプロフィール


1948年東京下町生まれ。

16代目の江戸っ子。高校時代に始めた前衛ジャズ(テナーサックス)を経て、1970年前衛音楽タージ・マハール旅行団を仲間と結成。1年間のヨーロッパ公演を通して宇宙観を深め、1972年新潟県十日町市大池の森に移住。現地の開発計画の代替案として、1982年廃校となった小学校を利用したミティラー美術館を設立。1988年、日印国家催事’88年インド祭日本委員会事務局長補佐(委員長小山五郎)。「国家催事は全国民のものであるべき」の考えから、北は網走から南は与那国まで、全国展開を実現。以来その活動は1989年ポストインド祭を考える会、2001年日印交流を盛り上げる会の代表として日本全国に国際交流を推進。2007年の日印交流年事業では、日本全国35都道府県北は利尻から南は与那国町に至る市町村で162の事業の大半に協力、共催し、インド政府より日印交流年賞を授与される。今年の日印国交樹立60年事業ではインド大使館のアドバイザーとして活動。両国で8月に開催された主要事業、東大寺を中心とする催事、26世観世清和氏を代表とする観世流能インド2公演を行う。 日本商工会議所、日印経済委員会が始めたナマステ・インディア、インドフェスティバルを当初から協力し、7年前から引き継ぎ代々木公園を会場とし、二日間で20万人を超える、インド国外では世界最大規模のインド祭に育て上げる。
ミティラー美術館のミティラー画のコレクションは散逸した日本の浮世絵に対する視野からなされたもので、開館して30年経った今、日本に残された貴重なコレクションとなる。’88年以来国際交流を目的として招聘された描き手たちは延べ200人を超え、やがて新しい絵画の発展の場となり、日本で発展したインド・フォークアートとしてインドにはない創造的な作品がコレクションされている。美術館の活動に対して平成10年度の国際交流基金地域交流振興賞を受賞。著書に「宇宙の森へようこそ」(地湧社)等がある。
美術館を維持する多忙な生活の中、音楽・芸術活動は限定的だが、明治開国以来失った日本の宇宙観というものを基本に据えながら世界標準の芸術文化を創造する活動を続けている。タージ・マハール旅行団時代、40数年前の作品「影をひっぱる」などは禅画の禅問答の現代の挑戦で、美術館のホームページ等で紹介している「仙人テスト」も同様。4mの雪深いの森に住み、前衛芸術と日印交流の主要な担い手は、日本文化のルーツから創造するというところで自然に解け合う。